大学一回生、後半戦。
とにかく、この大学から抜け出そう…!
はい。とりあえず、冷静でなかった私は他大学との編入を考えました。他人と決別しようと無茶苦茶?勉強しました。編入試験は英語と専門科目、それに面接(口頭試問)があります。とりあえず、対策として英語と面接対策に専門書を読みまくる…というかんじです。で、面接に関する情報を漁っている中でこんな情報が入ってきたのです。
「院進はするのか?」「将来は、身に着けた知識をどう生かしたいか?」「将来の展望は?」
などの、質問例です。これを見てやっと私は無茶苦茶将来について考えました…。(やっとだよ…)私は編入して何したいんだろう…。将来どうするんだ…??
素敵な出会い
病んで、勉強して、他人を見下し、廃れていた私に素敵な出会いがありました。
バイト先の違う学部の二回生の先輩でした。彼女は私と同じ後期上がりで入ってきていました。しかし、彼女は私と違って大学生活を楽しんでいるようでした。人を見下すわけではなく、でも意識は高く、勉学にも励んでいながら、“大学生”ってかんじの楽しみも味わっている…。この大学にもしっかり頑張っている人がいるということがわかり、だいぶ救われました。彼女は人柄が穏やかで、関わっていく間に私の病みも治まっていきました。いつしか、私も彼女のように、この大学でもしっかり頑張れるかな…と思うようになりました。
とりあえず出した答え
たいてい、編入をすると理系は卒業単位をとるために4回生の間もフルで授業をとらなければならず、就活なんてできず、院進をする…というのが多いということも知りました。私は院進したとしても奨学金を借りなければいけません。院を出れば、おそらく専門知識を生かした職業に就ける可能性は高くなります。借りた分だけ稼ぐこともできるかもしれません。それでも、私はお金を借りてまで研究をしたいのか…?編入したとしても、引っ越し代やら入学金やらまた多額のお金がかかる…そうまでするメリットは…?
私は若くして出産したい!という希望もありました。院を出れば25歳。でも奨学金を抱えたまま結婚ましてや、出産なんてしていいのだろうか…という不安もありました。
そもそも、私はなぜ大学に来たのか…それは人生を楽しくするために知識をつける!というのが目的でした。学術的な知識にしろ、生きていくために必要な知識、人に話せるネタを身に着けたい!という気持ちで来ました。
と、いうことで出た答えが、「今の大学でベストを尽くせばいいんじゃね?!☆」です。
それで今
編入をやめる!今の大学でベストを尽くす!と決めた瞬間、ぶわ~っと雲が晴れたようにすっきりしました!勉強してた時間も遊べる!楽しんじゃえ!ひゃっはーという風になったわけです。
何より考え方を変えると幸せになれるは本当みたい。
学生寮がない!お金かかる!→社会人になった時の練習。
お金がない!→この生活水準でやっていけたら社会人になって給料が今よりも多くなった時、めちゃくちゃ金貯まるじゃん!
みたいなかんじで急にポジティブ脳になりました。おもしろいですね。
今回は、文章の拙さがいつもより10倍増しですね。すみません。
読んでくれてありがとうございました。
次回から家計やらなんやらを書いていこうと思います。
ぽんこつでした。
大学一回生、前半戦。
こんにちは。ぽんこつです。
誰か見てくれることを願い、とりあえずただ思うことを書き連ねます。
現在に至るまでの話の続きです。
大学に入学
みごと受かったーのもつかの間、すぐ入学準備で怒涛のように物件探し、生活準備、引っ越し…と過ぎていきました。そして、5月病になる前に凄まじく病み期が訪れたのです…。
病み①学生寮がない…
はい。一番はこれでした。前期は学生寮がある大学だったもんで…私はなんちゅー大学に入学してしまったんだ…と思いました(遅い)。受かった時は、親(特に母)を安心させたくて、何かにすがるような気持ちだったもので、よく考えずに入学手続きをしてしまいました。
学生寮であれば、月1万くらいで寝る場所が得られるのに…泣く泣く大学近くの安い物件を母が探し当ててくれてそこに決めました。そこの家賃は水道込みで3万9000円。共有スペースがあり、そこのキッチンを使えば、ガス代などが節約できる…というところでした。まあ、大学に徒歩5分っていう神立地で助かったけど。
病み②車がないとやっていけない地方大学…
はいはい。これも大きな理由の一つ。大学周りに何もなく、車がないと不便…という事実よりもそういった風潮に最初は悩まされました。新歓行けば、「免許早くとりな。車買いな。」と言われ、大学事務は車保持者前提で話してくるし…ぐぬぬ。そんな、周りからの圧?で病みました。「持ちたくても持てないってことを考えないのか?」特に、大学事務に関しては、そういう学生がいるってことを考えられんのかな…と勝手に怒っていました。
病み③大学のレベル低い…
あはは。今思うと小さいなあと思いますが、偏差値の魔法にかかっていました。今では、偏差値ではわからない、実際に通わねばわからないことが沢山わかったので全然気にしてないのですが。考えがいろいろ変わった経緯もいつか記事にしようかなあ。まあこのときは…ははは。何より、学生のレベルが低い(笑)。前期入りと後期入りってやっぱり、ちょっと学力違うじゃないですか…何よりも意識が違うと思いまいした…。入りたくて入ったのと、不本意で入ったの…高い人はどんな入り方でも高いですが、その時は悪い方にばかり目がいってしまっていました。
次回は、どう克服したか書きます!
読んでくれてありがとうございました!
高校から大学入学へ
ぽんこつです。
ブログのカスタマイズができてませんが、とにかく記事を書いていきます。
現在大学2回生。日本の西のほうにある、公立大学に通っています。
今回は、現在に至るまでの話を高校3年生の冬からお話していきたいと思います。
ぽやぽやの高校3年生
今から2年前、私は東のほうで普通科の高校生をしていました。
親の収入は両親共働きで年収360万円程。まあ、裕福ではないですね。
当然、奨学金は予約採用に申し込んでいました。幸い、成績は良かったため無利子5万5000円に採用されました。しかし、学費と生活費を賄うことを考え有利子5万円も予約して、大学生になれば毎月10万5000円を借りることになっていました。
このときに、やっと私は、私が大学に通うには、うちでは出せなくてお金を借りなければならない、ということをちゃんと理解したのでした。
お金がないことは知っていました。だから、滑り止めの私立なんて受けなかったし(受かっても行けないし、行く気がないのでそもそも無駄だとは思っていたのも理由)、高校には内緒でバイトをして自分が遊ぶお金はつくっていました(今思うと普通だと思うな)。ただ、周りはバイトなんかしていなくたって遊びに行けるし…とか思うとちょっとしょんぼりしてた高校時代でした。
前期に落ちた
まあ、前期に落ちたのです。B判定の。落ちたことはとってもショックでしたが、何よりも受験のために交通費、受験費用、宿泊費、、、とお金がかかっています。それを無駄にした!という気持ちで親に顔向けできませんでした。しかし、泣く泣く母親に謝ると、
「何言ってんの!こんなの平気なんだから、気にしないで後期頑張んなさい。」
と言われました。母のほうが私より泣いていました。
この言葉で、精神は一時回復し、まあ後期に受かったわけです。その時は、素直に安心しました。全く行く気がない大学でしたが。あはは…
しかし、入学後の大学一回生時代が私の人生で一番の闇期となるとは…
受験期の闇話はまたあとで詳しく書こうかなと思います。
次は大学入学後の話です。
ありがとうございました。
ぽんこつ。